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ランスタッドで働く社員の声や、
インタビューをお届けするWebメディア。

インタビュー: プロフェッショナル事業部 中道 庸介

中道 庸介
プロフェッショナル事業部チームマネージャー
コンサルタント人材紹介(プロフェッショナル)

仕事が人生だった私が人生探しの旅に出て気づいた事

今日は毎日朝から晩まで仕事ばかりしていた私が、人生探しの旅に出て気づいたことをシェアしてみたいと思います。ちょっとだけお付き合いください。 幼少期から学校とフィギュアスケートの練習詰めの毎日を送っていた私は、高校二年生の頃、何か思い切って新しい事にチャレンジしたいと思い、サンフランシスコの大学への進学を決めました。大学卒業後現地で就業したのち、ビザの関係もあり、やむを得ず日本への帰国を決めました。 サンフランシスコから帰国した私は、Randstad(ランスタッド)に入社する為に、両親が住む神戸から東京に引っ越しました。正直、就活をしていた当時は人材業界に関しては存在も知らなかったのですが、ウィンターキャリアフォーラムにてRandstadの事を知りました。多様性があり、自由な働き方ができ、なんか私に合いそうだなぁと思ったのがきっかけでRandstadに興味を持ち、事業について知るにつれ、誰かの今と未来の架け橋になりたいと思うようになり、2019年に新卒として入社しました。 初めて住む東京は右も左も分かりませんでしたが、背伸びをして、不動産屋さんが勧めてくれた中央線の駅から徒歩二分の家賃11万円のマンションに住み始めました。全てが広いアメリカとは正反対の、中央線の通勤ラッシュ。来る電車来る電車が満員で、乗り込むまで何本か見逃し、やっと乗れた電車内はパンパン。人に押されまくりながら、自分はスポンジだと思い込んで、何とか会社まで耐えたのを今でも覚えています(笑) 新卒でやる気しかなかった私は、一日も早くConsultantに昇格したくて、朝から夜までオフィスでずっと仕事をし、帰宅後も仕事をしていました。そんな生活で週末は疲れていたので、家でボーッと過ごし、それでもなお、仕事をしていました。当時は東京に友達もおらず、趣味も特に無く、暇だったから仕事をしていた部分もあるかもしれません。 そんな仕事三昧の生活が報われ、無事Consultantに昇格する事が出来ました。「25歳までに〇〇円稼ぐ!」と言う自分自身の目標も、一年遅れてしまいましたが大幅に達成することが出来、もっともっと頑張ろうと、更に上を目指しました。たださすがにプライベートが無さすぎるのも悲しいなあと思い、趣味を作る努力も始めました。

渡邊 真子
プロフェッショナル事業部シニアコンサルタント

自分の裁量で仕事を任せてもらえる 当然、結果を出さなければ厳しさもある

高校を卒業してすぐ、卸売業者の営業マンとして働きはじめた田中。営業として5年が経というという頃、異業種への転職を考えはじめました。 田中 「人間関係で悩んでいたのもありますが、他の業界を知らずにこの業界・この会社だけにずっと勤め続けるのか?と考えていました。もっと自分の世界を広げたいと思ったのです」 以前の職場では派閥ができており、その両者の橋渡し役になっていたことも負担になっていました。それでも人と話すことが好きな田中は、営業の仕事で転職先を探していたそうです。 田中 「転職サイトに登録していたら、ランスタッドからスカウトメールをいただいて興味を持ったんです。でも細かいところはホームページを見てもよくわからなくて、『人材派遣のコンサルタントってどういうことをやるんだろう?』というところからはじまりました。とりあえず受けてみようと面接のお時間を取っていただいて、会社の説明をしていただきました」 ランスタッドを訪問した第一印象は「オフィスがめっちゃ綺麗!」。仙台支店は想像していたよりも人数が多くて活気があり、その規模感や充実した設備・環境にまず圧倒されたそうです。 田中 「面接の時、『仕事は人生の大部分を占めるもの。人材業界は人の人生の分岐点に関わる可能性がある仕事』と説明していただきました。人生に関わるというのは責任も重大ですが、関われるチャンスがあるなら、ぜひ自分もやってみたいという気持ちでランスタッドへの入社を決めました」

田中文也
スタッフィング事業本部 仙台SPOT課 コンサルタント
人材派遣(スタッフィング)未経験からの転職

私がSalesforceを卒業してRandstadに入社した理由

初めまして、ランスタッドのMichelleと申します。世界最大級総合人材サービス会社のランスタッドに入社して、7カ月が経とうとしていますが、一番よく聞かれた質問は「なぜin-houseからagencyに行ったのか」でした。 ぜひこの機会を借りて、私の採用という仕事への見解となぜin-house(社内の人事採用担当者)からagency(人材紹介会社の営業職)にキャリアチェンジしたかについて、皆さんに少しでも役に立てられるインサイトを与えられたらと願います。 自分は上海出身で、中高私立のバイリンガル(中英)教育を受け、高校卒業後に来日、日本語学校に1.5年間通った後、国立お茶の水女子大学を卒業しました。新卒第一期生として2015年に株式会社セールスフォース・ドットコムに入社し、本当に世界一幸せな新卒時代を送り、第一志望が叶ってマーケティング部署へ配属、1年後には新卒採用チームへ異動し、5年の間セールスフォース日本法人の新卒採用プログラム(Futureforce)の飛躍的な成長に大きく貢献してきました。 ここまで読んでいただき、順風満帆なイメージを持たれたら、それは大きな誤解になります。 現実は、日本特有の「新卒の就職活動」で成功するための重要な情報(どこにどんな就活イベントがあるのか、面接では何を言うと正解になるのかなど)を知らず、根拠のない自信しかない大学3年生だったため、第一志望群が全部不合格になってから慌てて興味もない企業に応募し、面接に落ちまくり、就活を諦めようとも考えたり挫折ばかりでした。最後は人伝でセールスフォースと面接する機会をいただき、7回の面接を経て内定を獲得しました。そして、「セールスフォースだから新卒採用が簡単だろう」とよく言われますが、その発言をする方は、きっと採用という仕事がどれだけ難しいかを理解していない方でしょう。自分が採用担当としてはじめて大きい就活イベントに出展した時、会社ブースにはもちろん誰も来てくれず、通りかかる就活生にパンフレットを差し伸べながらお声掛けすると嫌がられるリアクションの連続、からのスタートでした。よくネタとして出すことでもありますが、「セールスフォース」を「せ、せーる、ほーす、ほーすですか?」と、社名が全然通じない時代でした。 数多くの施策が成功し3年間が経ったころ、セールスフォースも新卒採用市場では人気企業になり、ブースに立つだけで学生が笑顔で向かってくる、完璧な面接対策ができた面接超人な学生が集まってくるようになりました。そのタイミングから、私は人気企業の人事になりたかったわけではないので、次のチャレンジを考えはじめました。過去の経験を活かせると思い、中途採用担当のポジションに転職したのが次のステップです。 2社目では、唯一の中途採用担当者としてカントリーマネージャーのダイレクトレポートラインで入社をしたのですが、組織変動に伴い、たった6カ月の在籍期間でした。大変短い間でしたが、10名以上の社員の採用に成功しました。 次の機会を探すタイミングとなり、もちろん中途採用担当として、他の会社で同じ中途採用のポジションでの転職ができましたが、それではなくagencyを選びました。そして外資系で有名なagencyの選考を他2社受けましたが、最終的にランスタッドを選びました。 1社目、新卒採用担当、in-house(5年間) 2社目、中途採用担当、in-house(6カ月) 3社目、人材紹介会社、agency (現在)

詹思怡(ミシェル・セン)
プロフェッショナル事業部コンサルタント
キャリア・育成人材紹介(プロフェッショナル)

ランスタッドを陰から支えるエンジニア集団──ソリューションデリバリー部

世界38カ国、日本国内90カ所の拠点でビジネスを展開するランスタッドは求職者と企業に人材サービスを提供しています。そのビジネスのブレーンとなるITシステムを統括しているのは、ソリューションデリバリー部のイムラン モハメド。インド出身で、情報工学を学んだ後に日系企業のIT部門で13年勤め、2020年に同社へ入社。2022年3月にディレクター(部長)に就任しました。 イムラン「ソリューションデリバリー部に所属するメンバーは、20人。ITに関する社員の問い合わせ窓口となるユーザーサクセスグループ、人材マッチングを担うSalesforceシステムを開発するコアシステムグループ、周辺システムを開発・保守するエンパワーリングシステムグループ。この三つのグループで構成されています。 社員からの問い合わせや改善要望があったときに、ワンストップかつスピーディーに解決することを目的に、体制を拡大して現在も増員中です」 同部では現在、「Majestic(マジェスティック)プロジェクト」という大型プロジェクトを進めています。 イムラン「Majesticプロジェクトは、当社のITプラットフォームをSalesforceに刷新するためのものです。主な目的は人材マッチングをはじめとしたコアシステムの強化ですが、2018年に経営統合したグループ会社のキャレオのシステムと統合する目的もあります。現在、段階的に導入をはじめているところです」 その第1フェーズとして、半年前に、プロフェッショナル事業部(人材紹介部門)でSalesforceを導入しました。 イムラン「導入当初は、やはり使い方に関する問い合わせが多かったですね。『もっとこうしてほしい』という改善要望や、『このデータはおかしいのでは?』という問い合わせもありました。すぐに対応する体制をとったことで、問い合わせは1カ月ほどで落ち着きました」 第1フェーズは成功。現在は、第2フェーズにあたるスタッフィング事業部(人材派遣部門)への導入に向けて準備中です。今後、さらに全社に拡大していきます。

イムラン モハメド
IT ソリューションデリバリー部 部長
キャリア・育成ダイバーシティー管理部門

長く働き続けたいから。アパレル販売員から営業職、そしてランスタッドへ

大学卒業後、アパレル会社に就職しショップの販売員としてキャリアをスタートさせた楠原。しかし店長となっていた20代半ばで、その先の働き方を見据えて一度目の転職をすることになります。 楠原 「勤めていたアパレルブランドは10代向けだったので、だんだん自分の好きなテイストが変わってきたというのもありました。それに、これから30代40代と長く働いていきたい自分にとって、一販売員のままでいいのかなと。パソコンスキルやオフィスでのビジネスマナーを今のうちに身につけなくてはいけないと思い、20代後半に差し掛かる前に転職を決めました」 そして美容業界を専門とする求人広告の営業職として、新たなキャリアをスタート。しかし新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、状況が一変します。広告主となるクライアントのお店は求人を募集するどころか営業を休止せざるを得ない状況に陥り、求人広告の需要は激減してしまったのです。 楠原 「そこで、需要が高まっている業界で長く働ける仕事がしたいと考えて転職をすることにしたんです。『顧客に寄り添った仕事に携わり、自分も成長する』ということを軸に人材業界に絞って転職活動を行いました。最終的には面接をしてくださった課長と事業部長の人柄に惹かれ、ランスタッドを選びました」 課長は新卒から約10年間ランスタッドに勤続している女性で、働く女性のロールモデルのような存在。事業部長との最終面接では「人は興味がないことに関しては頑張れないよね」とフランクに語る事業部長の話がとても面白く、その人柄に惹かれたといいます。 楠原 「こういう人たちと一緒に働きたい、目指すべき姿が近くにあると自分も頑張れる、そう思ったことが決め手になりました」

楠原 真未
エンジニア事業部コーディネーター
エンジニア派遣キャリア・育成自分らしさ

誰もが最大の可能性を発揮できる場所。ランスタッドの魅力、ダイバーシティ経営

──現職の全国お仕事紹介センター(以下、NJC)のセンター長に就かれた経緯を教えてください。 河合 「学生時代にはアメリカ、イギリスへ留学し、オーストラリアには1年間のワーキングホリデーに行きました。当初はそのままオーストラリアで永住するつもりでしたが、結局帰国して第二新卒としてランスタッドに入社しました。スタッフィング(派遣事業)の営業からキャリアをスタートさせ、千歳支店長、横浜支店長、首都圏エリアマネージャー、首都圏本部長、転職支援本部長などを歴任し、営業外ではITサクセスディレクターとして、salesforceの導入を成功させました。 全国お仕事紹介センター長に就いた大きな理由のひとつに、新しいことに挑戦したかったというのがあります。部署が新たに立ち上がったこと、かつコーディネーターのみの部隊という点にすごく魅力を感じたんです。 これまでの営業経験から、コンサルタントとコーディネーターが力を合わせて業務に取り組んでいかなければならない、ということを痛感していましたので、支店長になってからは、コーディネーターのマネジメントに力を入れるようになりました。かつて支店長を務めていた横浜支店では、営業よりもコーディネーターの指導に時間をかけてきたからこそ、支店を成長させることができたと考えています。 それから人と企業をどのようにマッチングするか、という点はやはり非常に重要。今回、NJCが立ち上がると聞いて、コーディネーターだけの組織という点がチャレンジングだと感じ、『この組織を成功させることができるのは、この会社では私しかいないのでは』と思い、センター長に立候補しました」

河合 賢太郎
スタッフィング事業本部 全国お仕事紹介センター(National Job Center :通称NJC) センター長
ダイバーシティー人材派遣(スタッフィング)働くパパ

【対談】改善が必要な課題があるからこそやりがいと可能性がある 法務新旧本部長が見据える未来

――ランスタッド法務部門ヘッドになるまでの経歴を教えてください。 佐藤 大学を卒業後、アメリカの大学院でMBAを取得し、外資系銀行の東京支店に幹部候補として入社しました。ファイナンシャルコントロール、個人金融部門支店の支店長、当時銀行業界ではパイオニアだったコールセンターの統括部長など、様々な業務を経験しました。10年目に家庭の事情で退職し、ハワイに移り住むことになりました。その間にロースクールに行き、司法試験を受けて、弁護士資格を取りました。 その後、日本に戻ってからは外資系法律事務所でのマネジメント業務、ラグジュアリーブランドの日本支社での管理部門統括業務を経て、フリーランスに身を転じ、業務委託としてランスタッドで契約の翻訳などを手掛けることになりました。 しばらくして、オランダ本社が目指す「専門家集団としての法務」への組織変革を推進するためにプロジェクトリードとしてランスタッドに入社しました。プロジェクトが完了した時点で、正式にリーガル&コンプライアンス本部の本部長として着任し、それ以降この職に携わってきました。 ――ランスタッドの印象とその後10年の変化や取り組みについて教えてください。 佐藤 ランスタッドは2011年に宇都宮に拠点を持つ派遣会社と統合しました。私が入社したのはそれから1年ほど経った頃でした。オランダ本社としては、社員をトランスフォームし、グローバル企業としての文化をつくり上げていきたいという希望があり、ランスタッドジャパンとしても変革を推進していましたので、自分のこれまでの経歴やスキルが生かせる環境と魅力を感じました。 この10年で、ランスタッドジャパンでは3度にわたりCEOが交代しました。トップのカラーによっても変わりますし、時代とともに変わってきてもいます。また、ランスタッドを取り巻く環境や本社の方向性も、かなり変化がありました。 常に取り組んできたのは、「アウト・オブ・コンフォート・ゾーン」を推奨・実践することです。ランスタッドの前身の会社は営業が優位に立つ会社で、管理部門は営業からの指示や要望を下流で受けて作業する体制になっていました。リーガルも、法務というよりは営業サポートとしての位置付けの時代が長かったようです。 人材サービスは許認可事業ですので、法務は深く入り込んでリスク管理とコンプライアンスの観点から営業をサポートし、紛争解決もしなければなりません。そのため、専門性を高め、営業と対等な立場で現場を先導できる法務になることを目指ました。人間誰しも、従来のやり方を踏襲する方が楽ですし、大きな変化には抵抗があります。現状をいかに打破するか、従前の枠を取り払って変わっていくか、つまり法務メンバーのマインドセットチェンジと行動変容がメインの課題でした。そのために、定期的にサービス満足度調査を行い、その結果をもとに、チーム全員でどうすればよきビジネスパートナーとして現場が必要とし望むサポートを提供できるかについて常に話し合い、様々な試みを実行することによって守ると同時に攻める法務を目指してきました。

佐藤 葉子 & 安田 浩之
リーガル&コンプライアンス本部 前本部長・現本部長
キャリア・育成ダイバーシティー女性管理職管理部門自分らしさ

私が転職エージェントを続けている理由

転職エージェントになってから、あっという間に15年が経ちました。学生時代から転職エージェントに憧れており、中途採用でランスタッドに入社をしました。 入社当初は担当業界の知識もなく、コンサルタントとしても経験不足な部分も多くて……。お客様に対して最高のサービス提供ができないことが悔しく、泣きながら仕事をしていたことがとても懐かしいです。 私は現在、ライフサイエンス業界のR&D領域を専門に担当しています。15年のキャリアを振り返り、「なぜこの仕事を続けてこられたのか」「ライフサイエンスの転職コンサルタントという仕事の魅力」もお伝えできればと思います。

山川 司
プロフェッショナル事業部コンサルタント
人材紹介(プロフェッショナル)
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